バナナフィッシュにうってつけの日

date. 2012.3

諦念するということが、ある人を思いやる最良の方法だと納得するまでの、その過程や葛藤は如何ばかりであったか、敢えて云うまい。
不条理や無常感に苛まれた時、頭で理解しているつもりでも、今まではそれがどこかで怒りに変わっていた。「してはいけないこと」の後始末の矛先は、内で収めなきゃいけないこともわかっていたんだけど。
でも、もう憤りに肩が震えることもないだろう。何も望まないだろう。自分でも不思議なくらい、諦めることができると思う。時には、不憫で不憫でどうしようもなく胸を痛めることがあるとしても、ね。

サリンジャーの小説を、読み返してみようと思ったのも、こんな心境の変化があったからかもしれない。なにげない日常に存在する理不尽さ、或いは存在しない無常観をあらためて目にしても、それはそれで何かがある、と読み進めていくんだろう。

熱帯夜の夜に、6匹の黄色のディスカスがギラギラと泳ぐ水槽を眺めながら、そこは気持ちよさそうだなんて思えるんだから、ね、やっていけるさ。


listprevnextHOME Copyright (C) Soupooh