紙魚

date. 2014.3

音が失われた世界。
目覚めた時にはもう春の雪が降っていた。
啓蟄を過ぎたというのに気温が上がらないので雨にも霙にもならず降り続けている。
雪の降る日は僕の世界は静寂に満ちている。特に春はその湿度が、気温が、僕の世界に纏わりついて辺りを無音にするのだろう。
ぼんやりと降りしきる雪を眺めていると、呼吸が苦しくなってくる。
肺の中に落ちる雪は、紙魚となって、その細い血管のなかの埋もれた言葉を食い尽くす。
もがくほど苦しくても、言葉をぬぐってくれるという紙魚という存在が、自分の中に何匹も何匹もいるという安心感が、僕を恍惚の瞬間に導く。
あまりにも苦しくって死んでしまうのではないのか。それでも窓辺に突っ伏して雪が落ちる様子から目が離せない。
肺に埋もれた言葉は全て僕に矢のように放たれた言葉だ。あの時も僕は息を飲んで死んだはずだった。そして今となってはもう思い出せない言葉だ。
紙魚は言葉をぬぐってはくれるけれど、その痕跡を沁みとして残していくので、僕は永遠に矢を放たれたという事実を忘れることはできないのだ。
苦しい。だから苦しい。一瞬でも紙魚を拠り所とした自分を神に懺悔する。

まだ雪は降り続けている。
苦しさに、その静けさに耐えられなくなった僕は、痛む胸を押さえながら頓服をやっとの思いで飲み込む。


listprevnextHOME Copyright (C) Soupooh