夕立が通り過ぎるまで雨宿りをしよう他二篇 |
date. 2001.8 |
もうどのくらい降っていなかったんだろう。焼け石に水ほどなら三日前にあったが、こんなに激しいのは久し振りだ。夕立が火照った夏の庭を洗っている。欅の幹が水のホースで打たれる音で、僕は目醒める。頭が痛かったのはこのせいだ。ひと眠りして頭重感もどこかにそこはかとなく遠のいたようだ。自然のシャワーが聞こえるこの目覚ましは心地よい。
手にとってみたけれど他に買いたい本もあったので、そのまま戻してきた歌集が気になっている。
あった場所にあるだろうと行ってみたが、なかった。売り切れてしまったのか、それとも棚が変わっただけなのか。歌集のタイトルや、歌人の名さえ思い出せない。(心配してほしい時には君から手紙がこない。電話がこない。メールがこない。)というような短歌が3葉連なったページをあやふやに覚えているだけだ。この頃すべてに散漫している。たしか男性だった。
机やベットの周りに散らかっている文庫や単行本を片つけるついでに、今年読んだ分をリストUPし始めたが、ゆうに100冊は超えているようだ。一言感想もつけてページにまとめようとしたら、片手間では終りそうもない。片つけようとしてついつい中身を読み返してしまっているせいもある。こんなに時間がかかってしまうと、数冊読める気もしてくるし、ペースも鈍る。どれも中途半端になりそうなので、やはり、今は読むことに専念しよう。
最近読んで或いは再読している本―
「不穏の書、断章」フェルナンド・ペソアから引用
私は自分自身の旅人
そよ風の中に音楽を聞く
さまよえる魂も
ひとつの旅の音楽
なんという精神性なんだろう。嘆息。
うろ覚え
覚えられない覚えていないということに、ここのところ敏感なことは確かだ。いつか、僕もソウイウ風になるんじゃないかと不安になる。暑いから?歳のせい?体調?だとしても、欲しいものがすぅーっと記憶されないなんて悔しすぎる。あやふやな記憶を頼りに、昨日の短歌集を検索するのだ。
新刊コーナーに置かれていた男性の歌人の現代歌集で可能な限り、オンライン本屋さんをハシゴする。どこにいっても最初に目にするのは、宮沢賢治の「天のかわ」。ああいくらなんでもこれなら覚えているよ・・・つぎだ、つぎ・・・探すこと2時間。
・・・装丁すら覚えてないものを、こんな条件で見つけようと思うこと自体無謀かもしれない。こんなにあやふやだと本屋で立ち読みしたことすら、夢に見ただけなんじゃないかと思えてくる。半ばあきらめかけていたが、或る歌人さん達が集う掲示板でなんともアヤシクひっかかる話題が目に止まった。
(あかいところもあおいところもいいよー)
僕がうろ覚えしているページは、その表現を拝借するならば“きいろいところ”なんだけれど、これ、実にアヤシイ、よね?どうやら僕の探している本は、枡野浩一さんの「ハッピーロンリーウォーリーソング」・・・
・・・なのかしら?このタイトルでこの表紙なら覚えていてもよさそうなものなのに。人間の記憶力なんてこんなものか?
とにかく、手にのせてみよう。
トドのつまりは所詮の顛末
毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである
毎日のようにメールは来るけれどあなた以外の人からである
毎日のように電話は来るけれどあなた以外の人からである
「ハッピーロンリーウォーリーソング」/枡野浩一
ヘバっていた僕が、この歌に反応したのは言わずもがな。前述、気にかけて欲しいって思いっきり声に出している。ああ嗚呼。
夏の夜は不思議だ。昼間太陽がジージーと照らしてつくる濃い影のように、闇も深く黒々と主張している。ポカンと月がひかり輝いて、まるでワンピース欠けた永遠に完成しないジグゾーパズルみたいだ。
抜けた穴を紙粘土で埋めて、周り四辺に合わせて彩色するように探し出した本は、ズバリ、大当たりだった。
あかいところとあおいところで「てのりくじら」と「ドレミふぁんくしょんドロップ」の二冊の短歌集を一冊にまとめてあるわけで、日常の過ごす時のほんとうの物語やら、僕はそこにほんとうだからこその無常感を感じてしまうんだけど、ともかく何よりも、わかりやすそうにみえる枡野ワールドの隙間に嵌り込んでしまったのだ。
三日ほど風邪で寝込んで久々に夢をたくさんみたので正気 ―抜粋
嗚呼、しかし。
(きいろいところなんてないぞ)
真夏である。あのお喋りな夕立もだんまりを決め込んだ太平洋高気圧の真っ只中である。僕の記憶はわずか一昼夜で、セピアカラーに覆い焼かれてしまったのサ。
はあ。
そしてきいろい太陽は、やっぱり僕をじりじりと身悶え倒させる。つまるところはエロス&タナトス。
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