涙のピアス |
date. 2009.4 |
クリスマスの朝、ピアスを無くした。右も左も、両方とも無くしてしまった。
雪の結晶の形をしたピアスは私のお気に入りだった。放射状の六方に枝が伸びた氷の華のようなよく見知られた結晶が、私は大好きだった。空にある月でも星でもなく、空からこぼれる雪の結晶には心の中まで、しん、と、させられる。ひとつとして同じ形ではないところに孤独を感じた。わたしは貪欲に結晶を欲した。
アクセサリーショップに立ち寄れば必ず探していたものだが、ある日偶然、電車の発車時刻までの時間つぶしに入ったショップで見つけたものだった。
普段身に着けるアクセサリーのどれよりも安物だったが、惑うことなく雪の結晶のピアスを手にレジに向かう。その年は、どこに行く時も、必ず着けていた。
彼の部屋でシャワーを浴びた後に、右耳の穴に風が抜けることに気付く。濡れた髪をタオルで拭こうとした時だ。はずし忘れていた。熱いシャワーと共に排水口に流され溶けてしまったに違いない。反射的に左の耳たぶを触る。(こちらにもない。)両方とも無くしたことに愕然とする。思わず辺りを手で探ったがあきらめる。暗く底の見えない穴に結晶ばかりじゃなく心まで吸い込まれそうだったから。結晶は熱い吐息とシャワーの熱で消えてしまったのだ。溶けてしまったのだと悟るしかなかった。
普段より勢いよく身体を拭く。長い髪と身体を拭き終わった後は、ピアスをしないまっさらの耳たぶに指を触れる。風が抜ける頼りなさに、くらり、とする。
「ピアス無くしちゃったみたい。」
彼は辺りを探そうとする。
「消えてしまったの。」
制したのは私だった。床には、濡れた身体を拭いて湿った白いタオルが、くしゃくしゃと落ちている。
一片は確かに溶けて消えてしまった。もう一片は何処へ飛ばされたのだろう。欠片になって彼の瞳に飛び込んでしまったのだろうか。私の胸に突き刺さってしまったのだろうか。
どちらにしても私達は、泣く恋人同士だった。逢瀬を重ねる度に必ずどちらかが泣いていた。ひとまわり以上年下である彼は、必死に背伸びをした。年上のわたしはこの恋の危うさをわかりすぎるくらいわかっていた。だから想いも、予感までも、泣くことでしか伝えることができなかった。
「逢っている時も、離れている時も、つらいんだ。」彼は私を映す鏡だった。
「それは、たぶん、ずっとね。」「手放せばきっと消えるわ。」
私達はピアスと引き替えに涙を流す謎を解いたのだ。
お互いの体に入り込んだ雪の欠片という恋は、他の誰でもなく、自分で溶かすことで終わりにできるだろう。わたし達は暖かい涙を流すことができるのだから。
しらじらと朝が明ける。一緒に彼の家を出る。駅までの道程を、まだ冬の弱い日差しに寄り添いながら、私達は繋いだ手を離し、別れた。低い陽が地面に反射して眩しくて、彼の顔をよく見ることができなかった。家路を戻っていく彼の姿は、潤んで白く消えていく。
泣く彼と泣く私が、彼の部屋で過ごした最初で最後の夜は、微かにオリオン座をみることができる空の下のクリスマスイブだった。
あれから幾つもの時間は流れ、私は殆どピアスをしなくなってしまった。ただ、今でも、雪の結晶を探し続けている。その形ならば、永遠への想いを冷めやかに結実して、これからの恋を彩ることができるのだろう。
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