ジョジョと僕

date. 2009.11

 五年前のお正月、ジョジョは逝ってしまった。
 父の僕を呼ぶ声で慌てて部屋を出て、ジョジョと叫んだら、最後の力を振り絞って寝ていた身体を起こして、にぃ、と鳴いて死んでいった。硬直はすぐはじまった。動物病院に電話をかけようとしたが、間に合わないのは明白だった。だから薄く開いた目を閉じさせようと、泣きじゃくりながら何度も何度も顔をなでた。

 桜が咲く頃、ジョジョに出会ったのは、二子玉川にあるペットショップだった。猫を飼いたくてお店を見てまわってる最中、里親募集の張り紙をしたお店に偶然巡りあえたのだった。
 生後三ヶ月程の子猫達が広いガラス越しの部屋に入れられていた。十数匹いただろうか。それぞれ遊んだりくつろいだりしていた。その中でひっそり壁に沿ってうずくまっていたのがジョジョだった。大人しいのかなと思って抱かせてもらったら、僕の胸から飛び出した。猫らしい元気の良さを見てひとめぼれでもらってきたのだった。ワンコインの五百円、それが彼の値段だった。
 猫を飼う準備として必要なものは何も用意してなかったので、そのお店で揃えた。店長さんは真摯な態度で説明を交えながら、キャリーバッグ、トイレ、砂、いつも与えていたキャットフードなど教えてくれる。キャリーバッグは一番高い籐でできたものを奮発した。それがジョジョを家族に迎える僕の心意気だった。

 ワンルームの部屋の真ん中で、バッグを開いた。キョロキョロ見回した後、ぴょん、と飛び出る。狭い部屋だったので、すぐに慣れてくれた。トイレも粗相することがなかった。賢い子だと満足していたら、そのうちドアから外へ脱走しようとするようになる。朝、僕が会社へ出かける時、いかに外に出ないようにするか、そのお転婆ぶりに悩まされた。家猫で育てることを決めていたので、絶対外に出る癖はつけないように気をつけた。僕の知らないところで事故にあっている姿など考えたくもなかったからだ。
 仕事に疲れて部屋に帰って来ると、ドアの前でお迎えしてくれた。どんなに癒されたことか。その頃仕事が忙しく、自分の体調の不良にも悩まされていた。そんな時期を一緒の枕で眠ってくれた。かすかに香る獣の匂いが、僕を守ってくれた。ピンクの肉球が僕の頬を何度もつついた。

 夏になって、僕は会社に行けなくなった。いわゆる心の病にかかってしまったのだった。診断書を会社に持って行った後、部屋から出られなくなった。昼間はいつもジョジョが膝の上にいた。彼は昼間のほとんどを寝て過ごすことを初めて知った。ひとりで寂しくないかと心配していたが、そうでもなかったかもしれない。ジョジョを抱きかかえながら僕は一日中泣いていた。食事も喉をとおらなかった。一週間位部屋にこもっていたが、猫缶が無くなってしまったので、やっとの思いで近くのコンビニに行った。そのさきで貧血を起こして倒れてしまう。これでは、自分もジョジョも共倒れになってしまうと思い、会社を止め、きちんと診察を受けようと実家に戻る決心をした。

 ジョジョをキャリーバックに入れ抱え、鞄ひとつで長野へ向かう。高速バスの中でジョジョはおとなしかった。ひと休みする双葉サービスエリアで、アメリカンドックを一本買って、皮をジョジョに与えると喜んで食べてくれた。ジョジョといれば僕は微笑んでいられる。神様はギフトを与えてくれたのだと空に感謝した。入道雲がもくもくと天に向かって浮かんでいた。

 終着駅で降りて、まだ誰もいない実家に着く。ジョジョをバッグの中にいれたまま、トイレと砂と猫缶の買出しに出かける。身体はだるすぎて思うように動かないが、ジョジョのためだったら不思議と頑張れた。その時僕は彼の親だったのか。親とはこういうものだろうか。
 母が会社から帰ってきて、僕とジョジョがいることに驚く。そういえば連絡してなかったと思い出したが、僕が全て面倒を見るということで、無理やり置いてもらった。母はケモノが苦手なのだった。父は無理に抱こうとしてジョジョに嫌がられていた。色々な風景がそこにはある。次第に母はジョジョに慣れ、父の膝の中はジョジョの指定席になる。彼は家に実に自然になじんでいく。

 実家に帰って次の日、僕と母は病院へ行った。診断の結果、即入院だった。ジョジョの世話ができなくなるからと、入院はしたくないと言ったら、母は、まかせなさいと言ってくれた。外泊の許可が出る度に、ジョジョがまるくなっていくのを見た。まるまる二ヶ月、無理して退院してきた時の心の救いはジョジョの世話ができるということだった。彼のちょっぴり垂れたお腹を見て天を仰いだ。天使のようにまるまる太った姿は、まさに神様の贈り物だった。季節は晩秋になっていた。

 ジョジョはすっかり家の子になっていた。一番懐いていたのは父だと思ったが、僕が通院している隙に、障子を破って僕のベッドで丸くなっている姿を見て、思わずいとおしくて抱きかかえた。ジョジョにとって寝ているところを起こされて甚だ迷惑だったかもしれないが、障子を破いたことから、また父に怒られるかもしれないよ、と頭をなでた。
 ジョジョは賢く甘えん坊に育った。僕がいないと僕のベッドで丸くなっている。人の目のないところで悪さをするというのは、これは賢さだろう。もうすっかり家になじんでいたので、これからの僕の人生は、ジョジョと一緒にいることを諦めざるを得なかった。父にもジョジョは置いていけと、そんな身体では面倒を見れないと一喝された。泣く泣く僕はジョジョと別れることになる。つまりその年の暮れも押し迫った頃、僕は結婚して再び東京に行くことになったのだった。

 結婚していた間、二匹の猫と縁が合って暮らすようになる。一匹は人懐っこくて、一匹はあまり媚を売らない自由奔放な猫だった。それぞれが一個体の猫であって、どれもジョジョの代わりになるわけではない。ジョジョはジョジョで、僕の一番辛い時の話相手だった。時折僧侶のような目をして僕を舐めた。そんな思い出と共に後の二匹も個々に、体調が戻らない僕の相手をしてくれた。夫がいない時、鈴が鳴るような声で僕を勇気づけた。夫の都合で三度引越しをしたが、どこにいってもすぐに生活に慣れてくれた。二匹も僕の人生を彩ってくれた。
 結婚に失敗した時、二匹の猫と共に実家に帰る。ジョジョは実に自然に二匹の猫を受け入れてくれた。こんな泣き言をいわない風に育ってしまったのは、僕のせいかもしれない。辛かった時、ぼくの愚痴をその緑の瞳で受け止めていてくれた。家の者しか心を開かなく育ったのも僕のせいだろう。それなのに、二匹の猫を受け入れて毛づくろいをしてあげている。そんな光景を見て、僕は泣いた。

 ジョジョは最後まで泣き言は言わなかった。だから気づいた時にはもう助からなかった。僕と両親の三人で看取った。父の涙をはじめて見た。
 次の日、山に葬りに行った。雪を掘って掘って、花屋であるだけのカスミソウを買って亡骸と一緒に埋めた。カスミソウはジョジョの大好物だった。

 ジョジョが亡くなって五年経った今、もう家には猫はいない。ジョジョが逝った時味わった喪失感は、三倍になって僕の心の中にある。僕はきっとこの感覚を忘れないだろう。ジョジョと出会ってから受け取った大きなギフトで、僕は光を見ることが出来る。
 たぶん、きっと。


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